頑張ることは呼吸と同じくらい当たり前にするべきこと。【神野藍】第8回
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第8回
早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめる。「どうか私から目をそらさないでいてほしい・・・」連載第8回。
【努力家の四歳上の兄がすごく眩しかった】
話は前回よりも少し遡る。
物心ついたとき、努力家の四歳上の兄が私の目の前にいた。兄は何事も一生懸命に取り組む人で、格闘技やスイミング、学習塾まで様々な習い事に通っていた。数十年ぐらい前なのもあり、父は兄に「男だから・長男だから」と厳しく接していたが、ただ厳しく接するだけで家庭をおろそかにするような父ではなく、その当時にしては珍しく家庭のことも率先して取り組むタイプであった。そんな父を含め家族みんなが兄に対して熱心にサポートしていた。私はいつもそんな兄や家族の後ろをついて回っていた。兄はいつでも表彰台の上で輝いていて、すごくすごく眩しかった。
それは年を重ねても一緒であった。兄が中学校に進学し、格闘技から他のスポーツに転向しても努力を怠らず、大会に出れば必ず賞状やトロフィーを持ち帰ってきた。そんな兄を素直に尊敬していた。
一方で、一番後ろをちょこまかとついて回っていた私は周囲をじっと観察するようになった。兄やその周りの人たちの怒られたことや失敗談を聞いては、「自分はしないようにしよう」なんて思いながら、要領よくこなしていた。一つのことに集中する兄と違って、どちらかというと何か一つに対して情熱が突出することはなく、色々なことに興味が湧き、満遍なく取り組むタイプであった。
また兄とは違い、私は両親に怒られた経験もほとんどない。それは私に対して甘かったとかではなく、単純に怒る理由がなかったからだ。ただ一つ思い出せるのは通信教育のドリルを三ヶ月分ほど貯めてしまったときだけ、父にほんの少し怒られた気がする。怒られたというよりも注意されたという表現が正しいくらい、その程度のことであった。