自らの内に翻れば、世界が変わる ~壺中日月長の教え~
若年時に「引きこもる」となかなか抜け出せず、中高年の引きこもりが増加している。
内閣府が2015年に実施した「若者の意識に関する調査(ひきこもりに関する実態調査)」によると、「普段は家に居るが、自分の趣味に関する用事の時だけ外出する」などの広義での数を含めると推計約70万人を超えるとのこと。この数字は、心身的な病気によるもの、自宅就労者は該当していない。
そして、その「ひきこもり状態」に陥るに至った大きな理由は、「職場になじめない」、「病気」、「就活の失敗」である。自分の感情を表に出すのが苦手な人が、何らかの大きなきっかけによってやむを得ず「ひきこもり」化してしまう例が多々見受けられるのです。
同時に見方を変えれば、たとえ資質があったとしても、きっかけを乗り越えることができれば、「ひきこもり」化は避けられることが見い出されるのです。
壺中日月長 ~壺中(こちゅう)日月(じつげつ)長し~
中国の『後漢書』に見られるお話です。当時、如南の街に壺公(ここう)という一人の薬売りの老人が住んでいました。
壺公は夕方に店を閉めるといつも、店頭にぶら下がっている小さな古びた一つの壺の中に、飛び込んで身を隠してしまいます。このことは、街中の誰一人として知る者はなかったのですが、ある日ついに費長房(ひちょうぼう)に見つかってしまいます。
費長房は、その壺に興味を示し、無理矢理に中へ飛び込んでしまいました。中に入って驚きます。壺の中はこの現実社会以上に、立派な建物がそびえ、広い庭園には花が咲き誇りっていたのです。
壺公はその国の主人で、仙人だったのです。費長房は侍女たちからお酒やご馳走を振る舞われ、二、三日十分楽しんで元の世界に戻ってきます。すると、こちらの世界ではすでに十数年の月日が流れていたというのです。まるで、日本の『うらしまたろう』のようなお話です。
「壺中」とは、壺の中の「苦しみのない世界」のことであり、ひいては「悟りの境地」を表しています。「日月長し」とは、山奥に暦や曜日がないように、時間に追われることなく、悠々自適な生き方を指しています。
二十四時間、時間に追い立てられている私たちにとって、穏やかな流れで過ぎていく生活は夢の世界であります。しかも、そこには嫌な人も居なければ、人生の挫折も失敗もありません。自分の好きなことだけを好きなだけ、時間の制約もなく行うことができるのです。
こんな「壺中」のような世界がこの世にあるでしょうか? 世界中のどんな壺をのぞいてみても、おそらくどこにもないでしょう。どうしても、他人と比べ、自分の心が苦しみや挫折に囚われてしまうのが人間です。しかし、自分の心と向き合って、そこにヒラリと飛び込んで行くことができたら、自ずと自分にとっての「壺中」となるはずです。
「壺中」のような夢の世界は「壺の中」にはありません。自分の心の中にあるのです。自分の視点を変えることができれば、それがきっかけとなり、私たちが生活している目の前の現実社会は、「壺中」のような素晴らしい世界になるはずです。自分が変わることができれば、きっと世界も変えられるはずです。