「不登校は私にとって必要なことだった」 そう語る教え子の言葉をすべての人に伝えたい【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「不登校は私にとって必要なことだった」 そう語る教え子の言葉をすべての人に伝えたい【西岡正樹】

人生という道で迷った時に思い出してほしいこと

西岡正樹

  

◾️11年前に教えた生徒から突然連絡がきた

 

 先日、教え子からメールが来た。11年前に担任した小学6年生のクラスにいた子だ。

 「お久しぶりです! ○○小学校63組のミキ(仮名)です。母から連絡先を教えてもらってLINEしています。先生お元気ですか」

 LINEを読みながら、11年前のミキの姿を追った。

 思い出すミキは一生懸命に動いている姿ばかり。活発なミキは、ちょっと頑張りすぎかもしれない、と私も時々心配していたことを思い出した。その後、その心配が現実のものとなり、中学3年生の頃に「ミキが学校に行っていなんじゃないか」という話が私の元に伝わってきたのだ。

 LINEにはミキが、どうして私に連絡をとったのかが書いていなかった。「ミキに何かあったのかもしれない」そんな心配が頭をよぎったので、時間をおかず、私は元気であること、今は学校で働いていないこと、そして、これからの旅の予定などを書いてミキに送った。すると、返信があった。

 「元気ですよー! 明々後日から沖縄の本島に住み込みでアルバイトする予定で、(中略)部屋の整理をしていたところ、先生からのはがきを見つけて、その内容がすごく心に響いてかつ必要な言葉で、そしてあの時から私を見抜いていてくれていたんだな~と凄さを感じました」

 「はがき?」ってなんだっけ。ちょっと前のことがすぐに思い出せないので、記憶の糸をしばらく辿ることになる。私のこの頃のルーティーンだ。「思い出した、思い出した」私は小学校を卒業させた子たちが中学校に入学する時と中学校を卒業する時に、何らかのアクションを起こしていた。「学級通信」を書いて全員に配るか、一人ひとりに手紙を書くかのどちらかなのだが、ミキたちの時は手紙を書いたのだ。

 ミキのLINEには、私が送った2枚のはがきも映っていた。

 そこには、次のような文が書かれている。(その一部を抜粋)

中学校入学時

「周りに気を遣うミキだけど、自分の思いや考えをもっと大切にしてほしいなと思います」

中学校卒業時

「高校生になりミキの自由度はさらに大きくなります。ミキの求めるものに向かって進んでいってほしいなと思います。ミキ自身の未来を信じて」

 2枚のはがきを読んでいると8年前と11年前の自分が目の前に現れてきた。ミキの姿を思い浮かべながらミキの未来を想像しながら、私は書いている。

 ミキのLINEには、さらに次のようなことが書かれていた。

 「自分らしく生きること、自分を信じることをあらためて大切にしようと思いました!!沖縄に行く前に読むことができて良かったです。」

 私はミキが沖縄に行く前に、直接話がしたくなった。ミキが小学校を卒業してから沖縄に行って生活しようと思うまでの自分史を知りたいし、今に至るまでの私の自分史をミキに伝えたくなったのだ。

 次の日、私とミキはカフェで会い、4時間かけて話をした。

 

 私は旅に出る時に心がけている「戒め」がある。

 多くの人は、道に迷ったら慌てる。それを修正しようとするあまり、人は無意識に道を曲がってしまう。ほとんどの場合、それはさらなる困難への「ターン」になる。だから、「迷ったな」と思ったらまず止まれ。そして、落ち着き、今来た道を確認し、今いる所を確認する。確認できなければ、自分がどこにいるのか確認できる所まで戻るのだ。

 これは、道に迷った時だけの「戒め」ではないように思う。

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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