出雲の神はなぜ、祟るのか!!
なぜ出雲大社の本殿がかくも巨大だったのか?
出雲国造は、存在そののものが謎めく。当初出雲国造家は出雲大社を祀っていなかった。
出雲大社から見て東側の意宇(おう)(松江市意宇町)の地域に拠点を構え、熊野大社(松江市八雲町)を祀っていたのだ。ヤマト政権誕生後の出雲の中心はこの一帯で、それ以前に栄えた西側の旧勢力の地盤は、衰退していたのだ。
それだけではない。出雲国造は「死なない」のだ。
杵築(きつき)の出雲国造が危篤状態になると、意宇の神魂神社(かもすじんじゃ)(松江市大庭町)に使者が送られ「神火相続(おひつぎ)」の準備が整えられる。また国造が亡くなると、嫡子は裏門から飛び出し、直線距離で約四〇キロの意宇を目指す。
この間、国造の死は秘匿され、普段どおりの生活を続ける。衣冠を整え、正しく座り、目の前に食膳が供される。不気味な光景だが、大真面目にこれをやる。嫡子は不眠不休で意宇にたどり着くと、火鑽臼(ひきりうす)と火鑽杵(ひきりぎね)をもちだし、熊野大社に向かい、鑽火殿(さんかでん)で火(神火)を熾す。
これが、「神火相続」だ。天皇は「日継ぎ」をするが、出雲国造は「火継ぎ」をする。この火は別火(べっか)とも呼ぶ神聖なもので、国造館内の斎火殿(おひどころ)(お火所)で守られていく。この神聖な火を使って、新国造の食事(斎食)は作られていく。
ちなみに、天皇が引き継ぐ「日」は、太陽神・天照大神の霊でもあり、天皇と出雲国造は、「日」と「火」の違いはあるが、よく似た神事を執り行ってきたわけである。
出雲国造が代々伝えてきた「神火」は、天穂日命の「霊(ヒ)」でもある。祖神の「霊」を継承するから、出雲国造は死なない。死んでいないから、昔は墓には葬られず、新国造が神火相続を終えると、赤い牛の背中に乗せ、出雲大社東南の菱根池(ひしねいけ)に沈められたのだ。
それだけではない。出雲国造は天穂日命の霊を継承し御杖代(みつえしろ)(霊が依り憑く現人神(あらひとがみ))となり、天穂日命そのものになるわけで、その天穂日命は大国主神を祀り大国主神そのものになる。だから、出雲国造は大国主神でもある。出雲は謎めく。