恋愛の縺れの末に生まれてくる依存心に近い!? なぜ私は読書の虜になったか【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第29回
早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでいてほしい・・・」赤裸々に綴る連載エッセイ「私をほどく」第29回。どうしようもなく愛しく、どうしようもなく恐ろしい人生のパートナーのこと。
【どうしようもないほどの快楽と恐怖心】
寝食を忘れて本を読み耽っているときがある。ページをめくる手が止まらなくて、数百ページの本もほんの二時間くらいで読み終わってしまい、少しだけ「途中でやめておけば良かった」なんて思ってしまう。ケーキの上にのっている苺は最後まで取っておけるのに、本だけはそれができないのだ。
本を読んでいるときは他のことを考えずに、目の前の綴られている言葉を咀嚼することだけに集中している。読み終わった後で、「そういえばあの言葉良かったな」と思い返してメモに打ち込んだり、「ああ、さっきの自分だったらどう考えるだろうか」なんて気持ちを巡らせたりはするけれど、最中はずっと本にのめり込んでいたくて、完全に離れたときでしか行わないようにしている。
研鑽されつくされた言葉と思想が私という存在と交わって溶け合う瞬間に、私の頭の中ではどうしようもないほどの快楽と、それと同じくらいの恐怖心が一度に押し寄せてくる。この瞬間がたまらなく愛おしく感じてしまうのだ。
きっと私は本が好きなのだ。けれども、私が好きと思う他のもの−−−例えば、旅行や和菓子に向ける好きとはかなり性質が異なるような気がするのだ。どれもこの世の中から無くなったら同じぐらい嘆き悲しむだろう。それぞれに向ける感情をもっと細かくみてみると、旅行などに対する好きは、楽しいとか嬉しいなどのポジティブな感情だけで構成された純度100パーセントの愛である。
それに比べると本に対しては大きく括るならば好きではある。でもその好きは綺麗なものではなくて、もっと感情がぐちゃぐちゃに入り混じった、それこそ怖さとか苦しみ、それ以上の敬いと愛、うまくは表現できないが、恋愛の縺れの末に生まれてくる依存心のようなものに近い。きっと私は本が与えてくれるものの虜になってしまったのだ。
本を読み始めるとき、覚悟の現れからか不思議と背筋を伸ばしてしまう。私にとっての本は今までに出会ったことがない価値観や思想、知識を運んできてくれる存在である。それと同時に、私の人生そのものや腹の奥底に隠した不安や悩み、どろどろの汚い感情の全てを見透かしてくる存在でもあるのだ。そのため、常に〈生身のわたし〉と対峙しながら読み進めなければならず、それは本を読み終えた後にも暫くはその状態が続く。
彼らは「お前はどうするんだ?」「お前が放っておいた感情をそろそろ考えるときじゃないのか?」と見たくもない現実を目の前に並べ、私の心に刃物を突き立てながら、半ば強引に回想と思考の道に引きずり込んでいくのだ。もちろんその過程はどうしようもなく苦しくなる。「こんな本、読み始めなければ良かったのに」と思いつつも、なぜかページをめくる手を止めることができない。そうするのは、そこで発生した痛みみたいなものを受け入れた先にある光みたいなものを知っているからだ。
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