なぜ女性は土俵に上がれないのか?
山の神と修験道、そして天照大神
日本には「女人禁制」の場所が、いくつもあった。僧たちが修行をする場も、女性を寄せ付けないことがある。
修験者(しゅげんじゃ)が篭(こ)もる山も、多くの場合、女性を拒否した。
いまだに相撲は伝統を守っている。女性が土俵にあがることはできない。
「だから日本は野蛮なんだ」と、したり顔で言う人がいる。たとえば山に女性が入ることを拒んだのは、山の神が女性で、機嫌を損ねることが恐ろしかったからだ。
相撲の土俵も事情は同じだ。女神(地母神(ぢぼしん)、豊穣(ほうじょう)の女神)の手のひらの上で、男どもが験競(げんくら)べをしているのが、相撲だろう。
古代の日本では、むしろ女性は大切に守られていたし、母系社会だった。
ただし、平塚らいてうが「元始、女性は太陽であった」と述べたようにではない。
天照大神(あまてらすおおみかみ)を女神と言いだしたのは八世紀前半の『日本書紀』で、あれは、女帝・持統(じとう)天皇を神格化するための方便に過ぎない。
伊勢内宮(ないぐう)で祀られる伊勢の神は、男神なのである。
天皇は娘や身内の女性を斎王(さいおう)( 巫女(みこ))に立て伊勢に派遣したが、斎王は天照大神(男神)と性的関係を結ぶと信じられていたようだ。神は祟る恐ろしい存在だから、結び着いてなだめすかすのだ。
そして、穏やかになった神からパワーを引き出し、天皇にそれを放射する。
こうして、天皇は霊的な力を獲得するという図式が出来上がっていた。
天照大神が男神だからこそ、女性は「神とつながる貴重な存在」とみなされたわけだ。
神社で巫女さんが鈴を持って舞うのは、神様の無聊(ぶりょう)を慰めるために行なわれていたのだ。
芸能の起源も、このあたりにある。
ちなみに、神社のまわりに花街(はなまち)が集まったのは、巫女が零落(れいらく)し遊び女になったからで、そもそも「遊び」は、「神遊び」の意味だった。
もちろん、「大人の遊び」である(みなまで言わすな)。
あ、それから、「ガイジンはやさしいから好き」という女性も多いだろうが、ひとつ警告しておこう。
そもそもキリスト教は、女性を蔑視(べっし)ししていたのだ。
宇宙を創造したのは男神であり、女性は男性を誘惑する淫乱(いんらん)な存在とみなされていたのだ(くれぐれも誤解のないようにいっておくが、これは、個人的な見解などではない)。
アダムとイブの話を思い出せば、分かっていただけるだろう。