怒りのミニマリズム
「最小限主義の心理学」不定期連載第4回
■渋滞のイライラをどうするか
休みとなれば山梨方面に行くことが多く、帰りは必ず渋滞に巻き込まれる。
慣れている部分はあるのだけれども、先週末の帰りの渋滞は本当に酷かった。
酷い事故はなかったが、軽度の玉突きと故障車、車線規制などで、私の終点である調布まで中央道のほとんどが渋滞だった。
それに合わせてウィンカーを出さない車線変更など、酷い運転をする人も多く、イライラは募った。
車を運転すると怒りが溜まる。
これは常だ。
仕事の帰りならば、空いているので私はのんびり走る。
法定速度で走っていると、車はどんどん私を追い越していく。
帰りは高度の高い場所から下っていくので、のんびり走れば燃費がいいし、そうやって車と競争しなければイライラすることもない。
イライラしないと言えば、こんなこともあった。
ある日、ドライブ中に「みんなドライブを楽しんでいる仲間だ」という考え方が頭に浮かんだ。
休日に旅先で車を運転している人たちは、皆同じように車生活を楽しむ人たちで、私は好きな車などを見て楽しんだりもしている。
同じ趣味を持つ人たちが、この道路に集まっているのだ。
そう思うと、普段のようにイライラしなくなった。
■勝ちたい心が、道路を殺伐とさせる
いい考えだなと思うのだが、普段は忘れてしまう。
高速では抜かせる、抜かせないといった人間同士の嫌味がある。
山中湖では渋滞時に車が走れない真ん中の車線を行く車があり、その車がウィンカーをつけずに私の前の車の前に割り込んだ。
当然、前の車はクラクションを鳴らしたが、割り込んだ男は車を降りて、前の車に喧嘩を売ってきた。
男はチンピラ風だった。
この状態に対して、「みんなドライブを楽しんでいる仲間だ」
とは思えないだろう。
前の車の男性は相当頭に来ただろうが、ぐっとこらえて大げんかにはならなかった。
そんな車の横を、ナントカ会とか呼ばれる暴走族OBのバイクが爆音を鳴らして走っていく。
「みんなドライブを楽しんでいる仲間だ」という気持ちを破壊するのは、「競争心」「勝ちたい心」だ。
結局、道路はレース会場でもある。
勝ちたい心が、道路を殺伐とさせる。
アドラー心理学で言うと、彼らは勝つことで力を証明したい。
そういう目的がある。
対する方法は、勝たせてあげること。
それしかない。
怒りのミニマリズムには、それしかないのだ。
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