「誤審か否か」だけでは見えてこない
選手がピッチで取るべきレフェリーとの距離
「現役目線」――サッカー選手、岩政大樹が書き下ろす、サッカーの常識への挑戦
岩政大樹による書き下ろし「現役目線」、11回目のテーマは「レフェリー」。
■ミスジャッジもサッカーの一部
先月行われたワールドカップ最終予選の初戦、UAE戦で日本は1対2で敗れました。その試合で下されたいくつかのジャッジが話題となり、数日間随分とレフリーの判断について議論がされていました。
その試合の一つひとつの判定についてはもう語り尽くされているので、僕の見解を述べることはしませんが、アジアチャンピオンズリーグやタイプレミアリーグを経験した者としての感想は、試合を通して見ればいたって普通だったように思いました。確かにいくつかのミスジャッジは見られたものの、アジアの大会では、あのくらいの数のミスは珍しくはありません。それ自体が問題といえばそうですが、ミスジャッジもサッカーの一部ということもサッカーを愛する者には共通の認識でしょう。
こんなことを話すと、僕のことをよく知る方やサッカーをよく見られる方から、「そんなこと言いながら、お前らよくレフェリーに抗議しているじゃないか!」という声が聞こえてきそうです。確かに、UAEとの試合の後も選手がレフリーに抗議する姿が見られましたし、僕もレフェリーの方と試合中に何度か話をすることがあります。
僕は笑顔で話したり怒っているように話したりいろいろなので、よく「何を話しているんですか?」という質問を受けることもあるので、今回はレフェリーとの関係について話してみたいと思います。