自衛隊が国民から孤立してしまっているのではないか
いま誇るべき日本人の精神 第13回
軍が存在しない国家は、中米の小国であるコスタリカを除けば、存在しない。どのような国であれ、軍が存在して、国を護ることは、国民の神聖な義務となっている。
ところが、日本では自国の安全を「諸国民の公正と信義」(憲法前文)に委ねているから、国民が国防について関心を向ける必要が、まったくない。
国防は、国民が強い関心を持つことによって、はじめて成り立つ。自衛隊は、いい替えが多すぎる。「普通科」とか、「特科」といって、国民のなかで分かる者が、何人いることだろうか。
「普通科」は正しくは歩兵のことであり、「特科」は砲兵である。
自衛隊員の階級の呼称も、判じ物としかいえない。一般の国民が、分かるはずがない。
将校は「幹部」、下士官が「曹」「陸曹」「海曹」「空曹」と呼ばれ、兵が「士」であって、「陸士」「海士」「空士」となる。
国民の大多数にとって、「二尉」「一士」「一佐」「士長」「二曹」といっても、あずかり知ることがない世界だ。
これでは、国民が国防に親しむはずがない。いい替えることによって、自衛隊を国民のなかで、孤立させている。
どうして、「普通科」「特科」という呼称に、こだわっているのかといえば、歩兵、砲兵の「兵」が、禁句(タブー)とされているためである。
しかし、憲法が自衛のために、自衛隊の存在を認めて、自衛隊が合憲だと解釈しているのなら、自衛のために「兵」がいてはならないというのは、おかしい。
もっとも、私は憲法第九条を、どのように読んでみても、自衛隊が違憲だと考えている。憲法は、「戦力」を保有することを禁じており、自衛隊が戦力であるということは、疑いない。
だが、現行憲法が現実に違反しているから、国民の権利と生命を守るために、自衛隊が存在することは、許されよう。
世界で憲法といえば、アメリカのような成文憲法と、イギリスのような不文憲法の二つがあると、いわれる。
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