頭が真っ白になりそうなときの対処法
「論理的」に話す必要はまったくない!
論理的に話す必要はまったくない
◆頭が真っ白になった経験は誰にでもあるはず
例えば上司に突っ込まれたとき、会議で発言を迫られたとき、頭が真っ白になったことはありませんか?
言うことはちゃんと用意していたのに、なぜか頭が真っ白になり、あせればあせるほど、何も言葉が浮かばなくなったことはありませんか?
最初は何とか話せていたのに、突っ込んだ質問をされた瞬間に飛んでしまった、という経験はありませんか?
こういった経験は誰にでもあるかと思います。あせればあせるほど、頭が真っ白になってしまいますね。
そんなときでも、『頭が真っ白になりそうな時、さらりと切り返す話し方』(KKベストセラーズ)で、頭が真っ白にならないためのを提言しているのが、『0秒思考』がベストセラーとなった赤羽雄二氏だ。
いくつかのポイントなかで、「論理的」に話す必要はない! という項目が、マッキンゼー出身らしくなく、面白いと思ったので紹介したい。
◆「論理的」という言葉は意識しない方がよい
───「論理的」という言葉はいっさい意識しない。
話す際に、「論理的」という言葉はいっさい意識しない方がよいです。意識して役立ったことは、私の経験上、一度もありません。そういう言葉を思い浮かべても、何の役にも立ちません。「論理的」にしようと思ったら話の筋がわかりやすくなることもありません。頭が整理されていさえすれば、話は十分わかりやすいです。
ですので、「論理的」という言葉をいっさい思い浮かべない方がいいです。
そういう言葉を使わなくても、わかりやすい表現、伝わりやすい話し方をすればいいだけです。誰でも、普通に話をしていれば十分わかりやすく話せます。あえて「論理的」などと考える必要もないし、言う必要もありません。
「論理的」「ロジカル」というのは、経験の少なめのコンサルタントやコンサルティング会社出身の人が振りかざす御守りのようなものですが、私は日本語の会話としては不要な言葉だと思います。
◆「論理的」という言葉で苦手意識が生まれる
なぜかと言えば、「論理的」という言葉を意識するあまり、苦手意識が生まれ、うまく話せなくなってしまうからです。その結果、論理的かどうかを意識し過ぎるあまり、逆に伝わらなくなってしまいます。
言いかえれば、「論理的」という言葉は必要がないだけではなく、ほとんどの人にとって有害だと私は考えています。「論理的」に考えようとしてわけがわからなくなってしまう、「論理的」に話そうとしてあがってしまう、「論理的」かどうかが気になって本論から離れてしまう、などです。
そんなことを気にしなくても、うまく伝わりさえすればそれでいいのです。そのためには、言いたいことを「発言予定メモ」にさっと書き留めて、落ち着いて話すほうがいいです。
◆自分自身、「論理的」という言葉を全く使わない
私自身は、「論理的」という言葉を全く使いません。そういう言葉を使わなくても、仕事の話もそれ以外の話も特に問題なく伝わります。普通の会話の中で使う必要がないだけではなく、上に述べた理由により、話す側に不必要なプレッシャーを与える言葉で、無用だと考えているから使いません。
もちろん、数学の証明は論理的に行います。コンピュータは論理関数からできています。ただ、それと会話の中の「論理的に話す」「もっと論理的に話せ」「論理的に話してくれないからさっぱりわけがわからない」といった表現とは全く別と考えています。
会話で使う「論理的」という言葉は、「よくわからないからわかるように言えよ」「おまえの話はよくわからん」というときに威圧的に言う言葉になってしまった、というのが私の理解です。もともと、そういう言葉を使わなくても、意味は十分に伝わっていたし、別に混乱もなかったと思います。
誰かがいつの時点かで使い始めたわけですが、実際はほとんど意味がなく、むしろ有害と思います。
────なるほど。以上の話を聞いただけでも勇気づけられる人もいるはずだ。確かに「論理的に話せ」という言葉は、威圧的に発せられることが多く、日常の会話で、心底、相手に対してそれを求めることはほとんどないはずだ。
「論理的に話す必要はない」と聞いただけで、頭が真っ白にならなくなった、という人もいるとのこと。
ぜひ「論理的に話せ」の呪縛から、解かれてほしい。