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いくらきつく叱られても星野監督はいい監督だった。山本昌、恩人を語る

現役32年の裏に、多くの助けがあった。山本昌の原点とは。

Q.野球人生で最大の「恩人」は誰ですか?

 

 難しい質問ですね。プロ野球生活を32年も続けられたのは、多くの方々の支えがあってこそなので、ひとりに絞ることはできません。ですが、本当にお世話になったなと感じている方は3人います。星野仙一監督、アイク生原さん、小山裕史先生です。

 星野監督への感謝は、私がプロ野球選手として「やっていけるかもしれない」と自信をつけることができたアメリカ留学のメンバーに選んでくれたことから始まります。日本に帰ってきてからも結果の出ない私を辛抱強く起用し続けてくれました。星野監督と言えば「闘将」と呼ばれるくらい熱血漢で、実際私も、よく叱られました。でもだからといって監督への感謝は薄れませんでした。というのも、選手にとっては、試合に出してくれることが一番のご褒美だからです。いくら優しい監督でも試合で起用してくれなければ、その選手にとっては「いい監督ではない」。星野監督は怒鳴っても、私を試合に出すことで育ててくれたわけです。今でも「よくここまで私を使ってくれたな」と感謝していますね。

 アイク生原さんは、私を一人前のプロ野球選手にしてくれる、大きなきっかけを与えてくれた方です。

 88年に、星野監督の厚意でアメリカ留学をさせてもらいましたが、当時の私は若かったせいもあり「島流しだ」と少しふてくされていました。しかし、当時ロサンゼルス・ドジャースのスタッフだったアイクさんは、本当に親身になって僕を指導してくれました。アメリカでは、後に私の最大の武器であり生命線となるスクリューボールを習得できましたし、気持ちを切り替えて高いモチベーションで野球ができたのも、アイクさんのおかげでした。

 そして小山先生は、これまでの質問でも述べた通りです。私が50歳までプレーすることができたのは先生の初動負荷理論のおかげであり、毎年シーズンオフにはつきっきりでトレーニングやフォームの修正を手助けしてくれました。「40歳になっても成長するんだ」と自信をつけさせてくれた方でした。

 お三方のなかでも「誰が一番か?」は決められません。でも、星野監督、アイク生原さん、小山裕史先生。ひとりでも欠けていたら、50歳まで現役生活を全うすることはできなかった。これだけは言い切れます。

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山本 昌

やまもと まさ

1965年8月11日、東京都生まれ。神奈川・日大藤沢高から83年秋のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。プロ5年目、88年の米国への野球留学をきっかけに飛躍し、同年8月プロ初勝利。以後はスクリューボールを武器に活躍する。93年に最多勝利、最優秀防御率のタイトルを獲得すると、翌94年には連続最多勝利と沢村賞に輝く。97年にも最多勝利。2006年9月16日対阪神戦でプロ野球史上最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン、08年8月4日の巨人戦で史上24人目となる通算200勝を樹立。通算581試合に登板し219勝165敗。


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