理想の上司「高木監督を胴上げできなかった」。山本昌、32年の現役でもっとも心残りなこと。
長い間現役として活躍した山本昌は「理想の上司」をどう考えたか
Q.山本昌さんにとって「理想の上司像」とは?
これは「自分を大人として扱ってくれる人」、になるのではないでしょうか。
野球選手に限らずどんな仕事に就いている方でも、「成果を挙げたい」と日々頑張っていて、そのための努力だってします。ですから、働く人たちは表に出てなくても「上司に認めてもらいたい」と思っているはずなんです。
そういった観点から言えば、高木守道監督は私を大人として扱ってくれました。
高木監督は1986年のシーズン途中、山内一弘監督の代行監督として指揮されましたが、私が本格的にご一緒したのは92年に正式に監督就任をされてからでした。私はこの年に13勝を挙げましたし、翌93年には今中慎二投手と私で17勝を挙げ、ふたりで最多勝を分け合うなど(横浜の野村弘樹選手も最多勝)、中心投手としてチームに貢献できたと思っています。
ただ、この年は今中投手が沢村賞に選ばれたため、周りからすれば「今中がエースだ」とった見方がありました。もちろん、私自身それに異論はありませんでしたけど、それでも自分としては「高木監督は私のほうを重宝してくれているんじゃないか?」と思うほど、よく言葉をかけてくれましたし、大事にしてもらっているような気がしたんです。
ほかの選手も同じだと思いますが、意気に感じました。「高木監督を胴上げしたい」。94年もなんとか監督の思いに応えたいと投げ続けた結果、19勝を挙げ2年連続で最多勝となり念願の沢村賞にも選ばれました。
それだけに、優勝できなかったことが無念でなりませんでした。94年は最終戦で巨人との優勝決定戦「10.8」で敗れ、高木監督を胴上げできなかった。2012年に再度監督に就任した際も、在任期間の2年間で優勝することはできませんでした。これは、私の32年の現役生活のなかで心残りのひとつです。
私は、高木監督がとても好きでした。自分を最後まで大人として扱ってくれましたし、中心選手として見てくれていた。そんな高木さんだからこそ「恩返しをしたい」という気持ちをずっと持ち続けられました。
そういう意味で、部下にそう思わせる人こそ「理想の上司」なのではないでしょうか。