「ブーイング」に対して選手はなにを感じているのか。その是非を問う――岩政大樹・現役目線
「現役目線」――サッカー選手、岩政大樹が書き下ろす、サッカーの常識への挑戦
■選手たちはサポーターの「声」ではなく「空気」を感じる
そのどちらも経験したものとしての答えは、どちらも正である、です。どちらでも正解なのです。
というのも、僕たち選手は、サポーターの声を、言葉ではなく空気から感じています。ブーイングをされたかされなかったかよりも、サポーターの皆さんがどのように感じているかを、スタジアムの空気で感じているのです。
ブーイングをしていてもそこに温かさを感じる時もありますし、拍手をされていても不満や批判を感じることがあります。
だから、僕は皆さんのスタイルを大事にされたらいいと思います。そして、"気持ち"をたくさん届けてください。
この「気持ちの共有」こそ、世界中で愛されるサッカーの一番の魅力であり、スタジアムに足を運ぶ一番の意味だと思います。
試合には必ず、味方と敵がいて、自分たちのサポーターと相手チームのサポーターがいます。サッカーを通して、サポーターの皆さんが想いを届け、それを受けて僕たちはチームのために必死に戦います。どんな出来事も、その試合に勝つためのもので、それ以上でもそれ以下でもありません。
試合が終わればノーサイド。
どんな時も試合が終わった瞬間に全ては終わり、握手をしたらみんなが同じサッカー仲間です。
僕の中の「リスペクト」とは、試合がキックオフで始まればどんな可能性も追い求めながら相手を全力で打ち負かす、ということであり、タイムアップの笛が鳴れば、どんなに気持ちの整理がつかなくても健闘を称え合うことだと思っています。
思えば、僕のプロでのキャリアを振り返ると、そこにはいつもサポーターの皆さんが作り出す空気とセットになって記憶が呼び起こされます。
鹿島時代には背番号「3」をつけることの意味をいつもスタジアムの空気から感じていました。今だから懐かしく語れますが、温かいものよりも厳しいものが多かったように思い出されます。