「北北西に進路をとれ(2)嵐山にて」
季節と時節でつづる戦国おりおり第267回
京都2日目は嵐山へ。渡月橋は人でいっぱいです。
外国人観光客の群れから離れ、西の嵐山公園へ。
観光番組や2時間サスペンスでおなじみの竹林!……が目的ではなく、こちら
「角倉了以副像」。
京の豪商だった了以は豊臣秀吉の下で東南アジア貿易にたずさわり巨富を得、さらに慶長11年(1606)徳川家康に願って京の西の大堰川(保津川)を開削、続いて慶長16年(1611)からは東の高瀬川を開削して舟運の便を飛躍的に向上させました。
で、なぜこの銅像が「副像」なのかというと。
ドン!
こちらが「正像」だからです。
嵐山公園の北、二尊院に立つ角倉了以像。石段を上がっていくと、右手に彼の墓もあります。
素朴な卵塔ですね。横は奥さんです。