なぜ僕は「5部」のチームを選んだのか。【岩政大樹の現役目線】
「現役目線」――サッカー選手、岩政大樹が書き下ろす、サッカーの常識への挑戦
■プロらしくない生き方をしてきた
僕は大学を卒業して鹿島アントラーズに加入してから、10年というサッカー選手にとってはとても長い時間を過ごしました。若い時に描いていたのは、一つのクラブで生涯プレーし、引退することでした。プロに入る前に何かのインタビューで答えたのをよく覚えていますが、「日本代表に入る」とか「華やかな活躍をする」とかではなく、「鹿島で長く中心としてプレーする」ことが何よりの目標でした。
それは僕のスタイル、僕の生き方に直結するものでした。
僕には1人でこの世界を生き残っていける才能も自信もありませんでした。プロに入ったからといって”プロらしく”振舞っていては生き残れないと思っていました。
ここでいう”プロらしく”とは、激しい競争の中で、考えることの1番に「自分」を置くということです。ほとんどの選手がそうだと思います。「自分」が輝くことを1番に置いた上で次に「チーム」がくる。そういう世界だと理解しています。
しかし、僕は順番を逆にしていました。1番に「チーム」や「チームメイト」を置き、次に「自分」にしてきました。
これは良い悪いではありません。そして、かっこいいこと(いわゆる美談)でもありません。「チームメイト」を輝かせ、「チーム」を勝たせることから入ることが「自分」を輝かせることに繋がる。結局は「自分」のためなのです。そして、(教員の血が流れる僕は)ただ単にそれが好きで、そうしたいだけなのです。
移籍することに対して、気持ちの変化があったのは3連覇を達成した後でした。日本代表にも選んでいただき、ワールドカップやアジアカップに出場することもできました。僕が28歳から29歳の頃です。
何が1番のきっかけかと言われるとはっきりしません。ただ、徐々に「新しい挑戦」の必要性を感じていきました。それは「鹿島を離れたい」とか「海外に行きたい」という気持ちからではなく、「離れなければいけない」、「行かなければいけない」という気持ちだったと思います。
そして、32歳の時に初めての移籍をすることになりました。上のレベルを目指すには遅すぎる年齢でした。そこまで移籍しなかったのは、1番は自分の力不足。そして、もう一つは「チーム」や「チームメイト」を1番に置くという自分のスタイルから抜け出す勇気とそのための自信が欠けていたからでした。
その前に一度、移籍か残留かに揺れたときがありましたが、その時もチームメイトの「出ていかないでほしい」という言葉にあっさりと気持ちが決まっていました。