何もなかった無名時代。マーリンズ田澤純一「野球を辞める覚悟で渡米した」
社会人時代には「クビ」とも言われた――メジャーで活躍する田澤の知られざる覚悟。独占インタビュー後編
■2013年ワールドシリーズ制覇の秘密
いよいよメジャーリーグもキャンプインを迎える。
今シーズンから活躍の場所をマイアミ――イチローも所属するマーリンズにうつす田澤純一。
ボストン・レッドソックス時代の8年間で300試合登板を果たした右腕は、新天地に何を思うのか。
そして、メジャー挑戦から8年経ったいま、語られる「アマチュア時代」の挫折、転機、偶然……。「アマチュアからメジャーへ」。常識を覆しながら、絶えずもがき、覚悟を持ってマウンドに上がり続けた男の独占インタビュー、その後編。
【前編:「上原さんがブルペンにいて助けられた」マーリンズ・田澤純一が振り返る「感謝」の8年間】
――2013年のワールドチャンピオンについては、大きなサプライズでした。前年は最下位。それだけではなく多くの主力選手がシーズン途中に出て行った(※1)。バレンタイン監督との軋轢とも言われました。
田澤 あのときはちょっとチームがおかしかったですね。監督の指示に対して選手が「それは日本式だろ、ここはメジャーだ」みたいな雰囲気がありました。日本でもそんなことはないけどなあ……と思いながら、ちょっと変な雰囲気でしたね。アメリカにいると国籍の問題っていうのはどうしても少なからず出てくるんですけれど、アメリカ人同士が反発しあうというのはあまり見たことはなかった。
――そうだったんですね。それで2013年もボストンはちょっと厳しいんじゃないかって雰囲気が……
田澤 それが優勝ですからね。
――あのV字回復はすごかったのですが、何が要因だったのでしょうか。
田澤 言いたいことをしっかりと伝える選手が入ってきたこと、それが大きかったように思います。ファレルが新監督になったわけですけど、彼ってどちらかというと、「人がいい」タイプなんですね。スター選手が多いボストンでなかなか言いづらいこともあったと思う。それでいて、オルティスやペドロイアといった生え抜きのスターは、自分のプレーに集中してその結果、勝利をもたらしてやろうという選手たちで、「まとめる」タイプではなかった。まあ、彼らの場合、本当に一振りで勝負を決めちゃうんで(笑)。
そんな中で、ビクトリーノ、ゴームズ、ロスといった移籍してきた選手が、チームをまとめようと率先して声を出していました。監督と考えが違うな、と思ったら「オレはこう思うんだけど」と直談判に行ったり、「みんなで勝ちに行くぞ」と士気を上げてくれたり。そういういい雰囲気を作ってくれたことが結果につながった感覚はあります。特にあの年はボストンでテロ(※2)があって、一体感を必要としていましたしね。