関門海峡を抑えろ! 古代北九州勢力の「積極的にヤマトを締め上げる策」
シリーズ「ヤマト建国は地形で解ける」⑥
常に新たな視点を持ち、従来の研究では取り扱われなかった古代史の謎に取り組み続けてきた歴史作家・関裕二が贈る、『地形で読み解く古代史』絶賛発売中。釈然としない解釈も、その地にたてば、地形が自ずと答えてくれる!? 「ヤマト建国は地形で解ける」をシリーズで紹介いたします。
日本の流通を支えた関門海峡
弥生時代後期に、出雲は急速に鉄器を獲得していく。
そして、吉備にも、鉄が流れ込み、ふたつの地域が一気に発展する。出雲の四隅突出型墳丘墓が巨大化し、越こしに伝播した。
そしてヤマト建国直前の吉備には、楯築弥生墳丘墓(岡山県倉敷市)が出現し、これが前方後円墳の原型になったのではないかというのは前述した通りだ。
ところが、ヤマトには、鉄はほとんど入っていない。ここに大きな謎がある。
こういう説がある。北部九州勢力はヤマトに鉄を渡さないために、「地理」を利用したのではないか、というのだ。
つまり、川のような狭い関門海峡を封鎖し、瀬戸内海経由でヤマトに鉄が流れることを阻止した。そして、日本海ルートを潰すために、出雲と手を組み航路を監視させ、その見返りに、出雲には鉄を流し、また、そのおこぼれにあずかったのが吉備ではないか、というのだ。
大いにあり得ることだし、有力視されている考えだ。
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