宇宙は火の玉だった――ビッグバン宇宙論!
今では一般的に認知されているビックバン。しかし、当時は宇宙がドッカーンと爆発?と揶揄された言葉からだった!?
この宇宙は、どうなっているのでしょうか(空間)。
そして、いつどのように誕生して現在に至り、これからどうなっていくのかでしょうか(時間)。
これらの空間(宇)と時(宙)に対するふたつは、もっとも基本的、根源的な疑問で、人類は常に答えを求め続けてきました。
古代人は神話的な宇宙観で説明し、古代ギリシア世界では、哲学の問題として解決が試みられました。そして現代は、科学的に宇宙誕生のしくみを解明することで、ビックバン宇宙にたどりつきました。
この宇宙論を大きく変えたのが、1929年、アメリカのエドウィン・ハッブルが発表した「ハッブルの法則」です。
アメリカのローエル天文台(アリゾナ州)のスライファーにより、渦巻き銀河のスペクトルから求めた視線速度は、アンドロメダ銀河を除いて赤方偏移(銀河からやってくる光が、星を出たときより周波数が下がっている現象のこと)していることが示されました。
ハッブルは、これらの銀河内のセファイド変光星を観測して、銀河までの距離を求めました。すると、遠い銀河ほど赤方偏移が大きく速い速度で遠ざかっていたのです。つまり、宇宙空間がまるで風船が膨らむように膨張していることをつかみました。
宇宙が膨張しているなら、時間を巻き戻すと宇宙はどんどん小さくなっていき、ついには1点に凝縮してしまうことになります。そのように考えた理論物理学者ジョージ・ガモフは、1948年に発表した論文で「火の玉宇宙」のアイデアを提案しました。これは、宇宙が1点に収束するならば、生まれたばかりの宇宙は高温高密度の火の玉のような状態で、このときに現存するすべての元素がつくられた、というものでした。
このアイデアは、あまりにも奇抜だったために当時は批判を浴びました。ガモフの「火の玉宇宙論」は、根拠のない大ボラ吹きな理論だと決めつけられ、「宇宙はドッカーンと爆発して生まれたというのか」という皮肉を込めて、ビッグバン理論と呼ばれるようになったのです。
だが、当のガモフはビッグバンという名前をいたく気に入り、その名称は定着していきました。
その後、1964年にビッグバンの証拠である宇宙背景放射(宇宙誕生38万年後の光が赤方偏移した3度Kのマイクロ波という電波)が発見されたのです。すなわち、宇宙の初期には火の玉のようなビッグバンが起こっていた証拠が見つかったのです。
<『138億年宇宙絶景図鑑』①>