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淀殿が懐妊した際に豊臣秀吉も安産祈願? 天下茶屋かいわいの旧跡

季節と時節でつづる戦国おりおり第298回

天下茶屋かいわい②天神ノ森天満宮

【前回はこちら:天下茶屋かいわい①】

 天下茶屋跡から天神ノ森駅に向かって歩を進めた先にある天神ノ森天満宮へ行ってみましょう。

 鳥居をくぐって境内に足を踏み入れますと…

 右手に「紹鴎杜(森)」と刻まれた石碑が。武野紹鴎の茶室にちなんでその森自体を「紹鴎の森」と呼び、天神ノ森天満宮そのものも「紹鴎森天満宮」と『住吉名勝図会』には記されています。

 その奥にある巨大な宝篋印塔。これがまた戦国ブログにピッタリのネタでサラリと流すのはあまりにももったいない!ので、次回に詳述することといたします。

 境内正面にそびえるご神木と、その前の玉垣の中に鎮まられるご神体、「子安石(こやすいし)」。文字通り、安産に霊験あらたかといわれ、『住吉名勝図会』にこの天満宮が「子安天神」とも紹介されている所以です。

 豊臣秀吉も淀殿が懐妊された際にこちらで安産祈願したということですが、境内の由緒略記によれば、秀頼誕生時のことだそうです。

 慶長20年(元和元年=1615)大坂夏の陣の際、秀頼配下の塙団右衛門ら豊臣勢はこの天満宮の前の紀州街道を通って幕府方の堺焼き討ち・浅野長晟勢迎撃に向かい、浅野勢もまたこの街道を北上して天王寺・岡山の戦いに参加しました。子安石は豊臣家滅亡の様子を複雑な思いで眺めたことでしょう。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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