江川卓、松井秀喜…怪物の対戦相手が明かす知られざる物語
Numberが選んだ甲子園の怪物たち-3
名だたる強豪校らが江川対策で奇策を
このうち『Number』らしいのは、やはり「怪物・江川に挑んだ男たち」だろう。『Number』編集部の鈴木忠平さんが言う。
「清原さんや松坂さんの章と同様に、江川さんも対戦相手がどうやって江川対策をしていたかという話のほうが面白く、その怪物性がより浮き彫りになる。僕らには想像もできない、とんでもないことを考えて実践していますから」
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1973年春の準決勝で作新学院と対戦した広島商の迫田穆成監督は、江川対策としてこんな戦術を実行する。それは「60分の1を振れ」というものだ。
「本に詳しく書かれていますが、迫田監督はまず、ストライクゾーンを横にボール6個、縦にボール10個の計60個に分割しました。そして、上半分の30個と、下半分の30個のうち内角寄りの15個を『捨てろ』と指示。さらに、残る下半分の外角寄り15個のうち、もっとも外側の外角低め1個分だけ『振っていい』、ただし『ファールにしろ』と指示したのです」(高木さん)
広島商は、ウエイティングとファールで、江川により多くの球数を投げさせようとしたわけだ。つまり、「ヒットを打たずに勝つ」という発想である。
後から振り返れば、この戦術は非常に理にかなっている。江川は高校2年秋までに公式戦26試合に登板し、2度の完全試合を含めたノーヒットノーラン6回、コールド勝ちで参考試合となった無安打無得点試合が2回、5本以上のヒットを許したのが3試合だけしかない。1973年夏の地方大会では、5試合すべてで完封勝利し、最初の2試合と決勝でノーヒットノーランを記録。この5試合44イニングで許したヒットはわずか2本だけだった。
野球は確率論のスポーツなので、まともに江川を攻略しようと思ってもヒットが出ることは考えにくい。理にかなっているというのはそういう意味だ。しかし、甲子園という全国が注目する舞台で、優勝候補の一角だった強豪広島商にこんな戦術をとらせてしまうところに江川の怪物ぶりが現れている。