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意外と知られていない、冠婚葬祭などの儀礼と家紋の深い関係

パスポートの表紙から、社章、冠婚葬祭、歌舞伎まで 現代に生きる家紋図鑑④

かつて、家制度のシンボルとして、社会の隅々にまで浸透していた家紋は、現代社会にあっても形を変えて暮らしの中で輝いている。日本人の心と伝統美の中に溶け込んださまざまな家紋の姿を探る。
監修・文/楠戸義昭
1940年、和歌山県生まれ。毎日新聞社編集委員を経て歴史作家に。著書に『あなたのルーツが分かる 日本人と家紋』『日本人の心がみえる家紋』『城と姫』『山本八重』など多数がある。

五月人形の櫃に付けられた家紋。写真提供/吉徳大光

 家紋は冠婚葬祭の中に深く浸透している。生後一月ほどでする氏神様へのお宮参りに、男の子は家紋5つをつけた祝着を着る。女の子は家紋を普通は付けないが、付ける場合は母親の実家の母の紋を背中に1つつけるそうだ。お食い初めに用意する漆塗りの膳と各食器に紋を入れる習わしがある。女の子は七五三や雛人形に家紋は用いないが、男の子は三歳と五歳のお参りに、五つ紋の羽織を着る。

 男の子を祝う端午の節供の鯉のぼりは、吹流しに家紋を入れる場合が多い。鯉は一番上の真鯉が父親、緋鯉が母親、三番目の青く小さな鯉は男の子を表し、その鯉の上の吹流しは、家を意味するので家紋を付ける。武者幟を掲げる場合も家紋が入る。鎧や兜を飾る場合、それを置く櫃の正面に家紋を付けることもある。

男性用の紋付羽織袴

女性用の黒留袖

 結婚式では、仲人や花嫁の母親、親族が黒留袖を着るが、黒留袖には背中、両胸、両袖と5つの染め抜き日向紋が入る。新郎新婦の知人が着る色留袖は、背中と両袖のみで、紋は3つ。訪問着で出席する女性も多いが、その紋は背中のみの1つ紋である。紋の数が多いほど格式が高くなる。七五三、入学式、卒業式、茶席などに着る色無地、江戸小紋、付け下げ、小紋といった着物の紋は背中に1つだけで、陰紋や縫紋でもよい。

 日向紋は礼服に入れる正式紋で白抜き。陰紋は輪郭を白く染め抜いたもの、縫紋は色糸で刺繍した紋で、共に略式紋。家紋の寸法は決まっていないが、女紋はやや小さく、直径2.1センチが標準である。

 喪服は格式が高く5つ紋。喪服が黒になったのは明治期から。それまで喪服は白で、家紋は入らなかった。文明開化、西洋の礼装が黒だったことで変わった。

 その明治初め、家長制による家制度の確立とともに、通常礼装の羽織袴に家紋を入れることが、半ば義務づけられた。そこで喪服にも家紋が入れられた。喪服の5つ紋が定着したのは戦後とされる。

 なお、喪服の貸衣装では、桐紋が代表的な女紋として誰にでも用いられ、シールの家紋を貼るようにもなってきている。

 そして、喪服の家紋の発達と歩調を合わせるように、墓石に家紋を入れることが流行する。戦国や江戸期、必ずしも墓石に家紋は刻まれなかった。喪服は洋装が主流になり、家紋入り和装が衰退する一方で、墓が家紋のオンパレードになったのは、ごく近年である。

『一個人 別冊 日本人の名字の大疑問』(2017年9月27日発売)より構成〉

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楠戸 義昭

くすど よしあき

1940年和歌山県生まれ。立教大学社会学部を卒業後、毎日新聞社に入社。学芸部編集員を経て歴史作家に。著書に『戦国武将名言録』『この一冊でよくわかる!女城主・井伊直虎』(以上PHP文庫)、『吉田松陰「人を動かす天才」の言葉』『坂本龍馬の手紙 歴史を変えた「この一行」』(以上三笠書房・知的生きかた文庫)、『山本八重』『文、花の生涯』『井伊直虎と戦国の女城主たち』(以上河出文庫)ほか多数。


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