いまも日本は学歴社会なのか?
知ったかぶりでは許されない「学校のリアル」 第11回
◆『坂の上の雲』に見るかつての学歴社会
教員をしていたという人から、「いまでも学歴社会なのか?」と訊かれた。出自や人格などより、学歴 (学校経歴)が社会的地位を決定する度合いの強い社会が学歴社会である。つまり、いい学校を卒業しているほど高い報酬を得られる社会のことだ。
学歴社会は、いつから始まったのだろうか。それを考えていくと、明治という時代にぶつかる。この時代の登場によって崩壊した江戸時代は、家柄が社会的地位を決定する最大のものだった。武士の家に生まれた者は武士、百姓の家に生まれれば百姓と、最初から社会的地位は決められていた。それが、明治維新をきっかけに一転した。
日清・日露の戦争の前後を描いた小説『坂の上の雲』で、著者の司馬遼太郎は、この小説の主人公の一人である秋山好古の父の次のような言葉を記している。
「信や、貧乏がいやなら、勉強をおし」
信とは、秋山好古の幼名である信三郎からきている。彼の父が上記のようにいった理由を、司馬は次のように記す。
「これが、この時代の流行の精神であった。天下は薩長にとられたが、しかしその藩閥政府は満天下の青少年にむかって勉強をすすめ、学問さえできれば国家が雇用するというのである」
信は、佐幕藩として明治維新を迎えた伊予(愛媛県)松山藩の武士の子だった。明治の最大の出世コースだった薩摩と長州による藩閥とは無縁だったわけで、これに抗して社会的地位を得て高い収入を得るためには「学問さえできれば国家が雇用する」という道を選ぶしかなかった。だから父は、「勉強をおし(しなさい)」といったのだ。
その言葉のように明治政府は、行政官や技術者を育てるために大学をつくり、近代的な教育を普及させるために師範学校をつくって教員を養成し、優秀な軍人を得るために士官学校をつくった。そして、藩閥に関係なく優秀な人材を採用した。そうした学校を卒業して行政官や技術者、教員、軍人になることが「貧乏」とは無縁な生活を送る手段だった。まさに、学歴社会だったのだ。
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