満洲事変を正しく知って、今の日本を正しく知る
シリーズ①満洲事変を正しく知って賢くなろう
■満洲事変を正しく知ると今の日本が見えてくる
最初に結論から申します。
●満洲事変に「軍部」の「独走」など無い。石原莞爾とて、お役所仕事を全うしたにすぎない。
●満洲事変に国際法違反は無い。むしろ生真面目に遵守しすぎ。
●満洲事変にコミンテルンの陰謀は成立しない。それどころか、当時のソ連は終始一貫して日本におびえきっている。
●満洲には夢もロマンも無い。王道楽土? しょせんは人口増加問題の解消策である。
●国際連盟脱退に外的要因は無い。徹頭徹尾、日本の内政問題である。
●満洲事変は人類が不幸になっていく始まりの大事件である。軽く考えてはならない。
いままで通説とされてきた日本の軍部独走・侵略史観に基づく悪玉扱い、逆にその反動としての「日本は悪くなかった、悪いのは周りの大国だ」という日本小国史観、海外大国による外圧・陰謀史観は、満洲事変においては、すべて間違いです。
一九三一(昭和六)年、現在の中国東北部にあたる地域は張学良という名のアヘン中毒の軍人が率いる軍閥【ギャング】の勢力【シマ】圏と化し、無法地帯となっていました。この無法地帯には、日本人居留民もいます。軍閥配下による権利侵害、不祥事の続発を解決すべく、九月十八日、出先軍隊である関東軍が奉天近郊の柳条湖付近で南満洲鉄道の線路爆破工作を行い、張学良討伐を開始します。これが、満洲事変の発生です。
出先で勝手に事変を起こし、軍事行動を開始した関東軍を、世論は支持しました。その理由は、おいおい説明しましょう。ここでは軽く触れておくと、景気はデフレで最悪。政治家は景気対策そっちのけでスキャンダル探しと足の引っ張り合い。日本人が拉致されているのに外務省が「日中友好」を掲げて「相手が困るから」と抗議ひとつせず。軍人は、そんな政治家に媚び、他の官庁に人当たりのいい人物だけが出世できるお役所仕事の巣窟。
いつの時代の話だ、まるで今の日本ではないか。そう思った方もいるかもしれません。ついでに言うと、日本近代史に詳しい方は、「日中友好? 当時の日本は支那と呼んでいたから、日支友好が本当ではないのか?」と疑問を持たれた方もいるかもしれません。しかし、違います。満洲事変直前の我が外務省は「中国」と呼んでいた、そういう時代の話です。
平和ボケ、対外政策の拙さ、お役所仕事という害悪など、今に続く日本の問題はすべてこの時にすでにあります。
満洲事変を正しく知るということは、今の日本を正しく知るということと同義です。そして、そこに起こるだろう失敗を予見して、改めなければならない、ということです。賢くなろう、というのは、今後の日本をちゃんと考えることができるようになろう、ということに他なりません。
『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』より抜粋
次回は、シリーズ②満洲事変に「軍部」の「独走」など無い!です。