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25歳で脱サラし、「天才」落語家・立川談志に弟子入りするまで

大事なことはすべて 立川談志に教わった第1回

 まず、自分が惚れた師匠のもとに、「落語家になりたい。弟子入りしたい」と直談判します。寄席のハネた後を見計らって告白する手もありますし、その師匠の知人を通じて打診する場合もありますが、いずれにしても直接挨拶するところから始まります。
 一般的には、その師匠がよほど生理的に嫌悪感を抱かないかぎり入門OKとなりますが、何度かは門前払いをしてから試す師匠も、なかにはいます。覚悟の程を確かめるわけですね。
 師匠談志は、意外にも「即入門OK」を出します。よほど怪しいやつでないかぎり日程を調整し、第一段階として「親を連れて来い」となります。これは、親の面前なら逃げ場はないだろうとの判断からです。

 今でもよく覚えていますが、平成3年4月19日のことでした。場所は国立演芸場の応接室。立川流一門会のトリを終えた師匠を、私は長野から上京してきた両親と共に待ち続けていました。
 かなり遅れて部屋に入ってきた師匠はにっこり笑って、私の父親にまず一言、「殺しはしませんから」と言いました。
 今思えば、怖いと同時に最低限の生命は保証するという「優しさ」なのです。「優しさ」という言葉を使いましたが、この言葉は師匠を形容するのにはとても便利な言葉であります。
 そして次に、私も直に言われましたが、「君が落語家になりたいという気持ちを俺は否定できないんだ」との殺し文句を突きつけます。
 ああ、なんて素晴らしく優しい言葉なのでしょうか。その言葉に騙されて今の私があるのですが・・・。
 先ほど「立川流は北朝鮮」と書きましたが、「そこに行けば未来が広がる」と25歳の時に「地上の楽園」を見出した私は「よど号の乗っ取り犯」なのかもしれませんな。もはや真打ちになった以上、「脱北」はできません。ひたすら「朝鮮労働党幹部」を目指すのみであります。

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立川 談慶

たてかわ だんけい

昭和40(1965)年長野県上田市(旧丸子町)出身。1988年慶応義塾大学経済学部を卒業後、㈱ワコールに入社。セールスマンとしての傍ら、福岡吉本一期生として活動。平成3(1991)年4月立川談志門下へ入門。前座名立川ワコール。平成12(2000)年12月、二つ目昇進、談志より「談慶」と命名。平成17(2005)年4月、真打ち昇進。平成22(2009)年から二年間、佐久市総合文化施設コスモホール館長に就任。平成25(2013)年、「大事なことはすべて立川談志(ししょう)に教わった」(KKベストセラーズ)出版、以来、「落語力」「いつも同じお題なのになぜ落語家の話は面白いのか」「めんどうくさい人の接し方、かわし方」「落語家直伝うまい!授業のつくり方」「なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか」「人生を味わう古典落語の名文句」など「落語とビジネス」にちなんだ書籍の執筆。NHK総合「民謡魂」BS日テレ「鉄道唱歌の旅」テレ朝系「Qさま!」CX系「アウトデラックス」「テレビ寺子屋」などテレビ出演も多数。現在、東京新聞月一エッセイ「笑う門には福来る」絶賛好評連載中


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  • 2013.07.13