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歴史的に貴重な伊王島台場群の現状

外川淳の「城の搦め手」第62回

 前回「佐賀藩が築造した伊王島の台場群、その歴史的意味を考える」に引き続き、伊王島台場群の現状を紹介しながら、いかに歴史的遺産として取り扱われていないかについて問題提起したい。

2中ノ田台場
 谷を封鎖するような形状の台場の石垣が伝わる。伊王島町設置の史跡標柱が立つ。全国的にみても、とても貴重な台場の石垣が残されるものの、海岸線特有の竹を中心とするブッシュが生い茂り、現状では全容の把握は困難な状態にある。

中ノ田台場に伝わる石垣=高さ約2メートル全長、約100メートル

上のカットを撮影した外川の腕の自撮り
石垣の下部に降りても笹系のブッシュにより、引いたアングルで撮影できなかったため、一眼レフの可変モニターを活用して石垣を撮影。我ながら創意工夫にあふれた撮影方法のため、一眼レフを持った右手を左手の携帯で自撮りした。

3大明寺干場台場
 周辺住民への聞き取り調査では、台場が存在したという伝承は、地元に残されていないもよう。遺構を確認できず、台場があったポイントは、不明と判断せざるをえなかった。

4円通庵下台場
 台場の東南部分の大半は農地として転用される。聞き取り調査によると、戦後、芋畑として開拓されたとのこと。伊王島台場特有の石垣が部分的に伝わる。それ以外のエリアについては、農地転用にともなって石材が撤去され、土の壁によって形作られた切岸の形状となったと想定される。石材の転用によって防御ラインが読みにくくなったとしても、部分的に伝わる石垣とともに貴重な遺構。

円通庵下台場に伝わる石垣
数分間を費やし、笹系のブッシュを除去したうえで撮影。愛用の大きな植木鋏は飛行機に持ち込めず、手でむしり取る。

 伊王島台場群のうち、1か所を除く3か所には遺構が伝わり、そのうち、中ノ田台場は全国的にみても、とてもよく石垣が残される部類に属す。にもかかわらず、『品川御台場―幕末期江戸湾防御の拠点―』には「現在、伊王島の四台場は本格的に遺構が残っているところは見られない」と記述される。

「本格的に」という表現は、曖昧さを残しているとはいえ、「ブッシュのなかに入り、ちゃんと見たの?」という皮肉もいいたくなる。

 伊王島台場群は、幕末の台場としての遺構が伝わりながら、その存在に気付かれることなく、ブッシュに埋もれる苦境が続いているといえよう。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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