ピンになってからも順風満帆…その心は?【芸人「幸福」論】
自己責任で自分が好きなネタを試せる。「ねづっち」の場合
売れても売れなくても、なぜ彼らはゴキゲンなのか。プチ鹿島が見た芸人の生き様を、新刊『芸人「幸福」論』 からお届けしよう。今回はなぞかけでおなじみのねづっち。
■自分の好きなネタを試せる
漫才コンビ・Wコロンの解散が発表されたとき(2015年)、お笑いファンに衝撃が走った。売れたコンビが解散するのは切ない。
しかし、先日ピンになった「ねづっち」の舞台を見たら、これがまぁウケていたのだ。何よりも本人が楽しそうにやっていた。一体どんな変化があったのだろう。さっそく会いに行った。
「テレビに出て、顔を覚えてもらえるようになったのは2010年。きっかけは『アメトーーク!』(テレビ朝日)でした。「町工場芸人」に出演後すぐ「交渉人 THEMOVIE芸人」に呼ばれたんです。米倉涼子さんの前でなぞかけがウケて、司会の宮迫さんが「今年来る」と言ってくださって。そしたら翌日からの予定が全部埋まったんです。雨上がりさんのおかげなんですよ」
それにしても、今の時代に「なぞかけ」で、よくぞ。
「ウマいこと言って落とすという芸風は、女性客が多い若手ライブだとウケないことがありました。でも浅草の演芸場でやると年配のお客さんに絶大にウケるんですね。なんとかこれを活かせないかと」
若手ライブではツッコミのバリエーションを増やした。
「なぞかけがウケなくても、ツッコミで笑いを取れるように見せ方を変えたんです」
その結果、浅草と若手ライブの溝がだんだん埋まってきた。「浅草芸人」というキャラクターもついた。
(中略)
ねづっちとなぞかけの出会いは、浅草の演芸場。落語家がやっていたなぞかけを見て、憧れたのがきっかけ。それ以降、楽屋でナイツ・土屋、U字工事・福田らとなぞかけをよくやった。
「実はコージー冨田さんが、なぞかけが大好きだったんですよ。コージーさんと飲むと、一晩中なぞかけ大会なんです。朝8時までやって〝この後、ロイホで続けない?〟っていうくらい」
芸能界には、なぞかけ一派が存在したのである。
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