古代は今の1年を2年として数えていた?
天照大御神が卑弥呼であると言える理由 第4回
日本神話の最高神とされる天照大御神。吉野ヶ里遺跡などのデータを科学的な方法で分析、整理すると「天照大御神=卑弥呼」説が浮かびあってくる――!?その根拠を徹底検証する第4回。
歴代天皇の没年齢をグラフ化すると
見えてくることがある
第31代用明(ようめい)天皇からあとの天皇のお年は、歴史的な事実と考えてよい。
いま、用明天皇から昭和天皇までのお年をグラフにすると、「歴代天皇の没年齢」のグラフのようになる。
このグラフをみると、近年になるにしたがい、享年が長くのびているというような、一定の傾向は、認められないようである。
日本人の平均寿命は、近年になるにしたがってのびている。しかし、幼児死亡や、若い人の結核が減ったことに、その大きな原因があるとみられる。成人し、即位した天皇のお年は、時代によってそれほど大きくは違わないようである。
「歴代天皇の没年齢」のグラフの左のほうには、『古事記』、『日本書紀』の諸天皇のお年を、2で割った値も、示されている。この2で割った値のグラフが、右側にのびる史的にはっきりしている諸天皇のお年のグラフに、きわめて自然につながっているのに注目していただきたい。『古事記』、『日本書紀』に記されている諸天皇のお年の平均値を算出すると、歴史的に確実な第31代用明天皇以後の「歴代諸天皇の没年齢」の平均値の約2倍の値になるのである。
古代にはなんらかの古い暦があって、のちの時代の暦の1年を、2年に数えている可能性が、かなり強いといえよう。
宮中で行われる年中行事には、6月と12月の、同じ日に行われるものが多い(大祓、大殿祭、鎮火祭その他)。7月と1月の行事も、対応していることが少なくない。『風土記』や『万葉集』にみえる嬥歌 (かがい。男女が、歌を詠みかわし、舞踏し、性的解放の行われた行事)は、農耕儀礼と考えられるが、これも、春秋2回行われた。現在の1年を、かつて2年に数えていたことのなごりか。
《天照大御神が卑弥呼であると言える理由 第5回へつづく》