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蘇我氏と蘇我系の皇族を陥れた中大兄皇子と中臣鎌足

聖徳太子の死にまつわる謎㉒

■藤原四兄弟の死が長屋王の怨念だと解釈した藤原家

写真を拡大 上宮王家『日本歴史図会. 第1輯』古谷知新 編(国民図書刊)

 

 聖徳太子を殺して得をしたのは、一見すると蘇我氏であるかのようにみえる。しかし、最終的に勝者となったのは藤原氏ら反蘇我派であり、太子暗殺は、反蘇我派が最初から仕組んだワナだったという可能性が強いことになる。 

 蘇我氏に権力を奪われた王家にとって、天皇親政の復活は悲願であった。しかし、これを実現するにはふたつの邪魔な存在がある。ひとつはもちろん蘇我氏、そしてもうひとつは、非蘇我系の皇族からみれば蘇我氏の傀儡にすぎない聖徳太子であった。この両者を同時に抹殺しないかぎり、天皇家の復活はのぞめそうにもない。 

 そこで藤原氏を中心とする反蘇我派は蘇我氏をそそのかし、ときの天皇・推古のお墨つきを与え、聖徳太子を暗殺させるよう巧みに仕向けた。
蘇我氏にしても、次第に言うことを聞かなくなった理想主義者に手を焼いていたから、ふたつ返事でこの仕事を引き受けた。 

 

 このような筋書きを反蘇我派が描いたとしても、何の不思議はない。そして後年、入鹿を裏切って暗殺し、朝廷の陰謀を抹殺するために聖徳太子殺し事件の真相を闇に葬ったということになる。

 一見して完璧な推理である。だが、すでに触れたように、この「中臣鎌足黒幕説」には、 重大な欠点が潜んでいる。なぜなら、中臣鎌足が殺したのは聖徳太子ではなく、山背大兄王であり、それにもかかわらず、八世紀の藤原氏は、山背大兄王ではなく、聖徳太子にばかり気を取られているからである。 
聖徳太子の死から藤原氏による聖徳太子祭祀に至るまで、百年近い年月が流れていたことも、納得できない。  
それだけではない。

 天平九年(七三七)に藤原四兄弟が全滅したとき、藤原氏が恐れていたのは、聖徳太子ではなく、別の祟りだった疑いが強い。

 それが、藤原四兄弟最大の政敵・長屋王である。 

 長屋王は神亀六年(七二九)、露言を受けて、罪なくして一族滅亡に追い込まれている。仕掛けたのは藤原氏である。そしてこののち、長屋王は黙って出ていたようなのだ。政敵を葬り去り、我が世の春を謳歌していた藤原四兄弟を天然痘の病魔があっという間に呑みこんでいった。誰しもが、長屋王の怨念におびえたことだろう。 不可解なのは、この時朝廷や藤原氏が、長屋王を祀った気配がないことだ。その代 わり、なぜか法隆寺の聖徳太子を丁重に祀っていたのである。

 じつをいうと、聖徳太子暗殺事件の本当のヒントは、この説明しようのない聖徳太子祭祀に隠れていたのだ。 
けれども、聖徳太子暗殺犯捜しは、再び振り出しに戻ってしまったのである。 いったい誰が、聖徳太子を殺したというのだろう。

(次回につづく)

〈『聖徳太子は誰に殺された?』〉より

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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  • 2015.07.18