日本のビジネスマンは「数字」に弱すぎる。外食産業で大儲けした男の指摘
あらゆるチャンスに数字をもちだして、これを活用せよ
■数字は銭勘定のことではない
日本人は伝統的に数字でものをいうのをいやがる傾向がある。
その理由を考えてみると、日本が気候が温暖で、せまい土地に昔からたくさんの人間が生活していたために、ハッキリものをいうと窮屈で生活しにくくなる、ということがあげられる。
なにしろ、神武天皇の時代に、すでに日本には1000万人をこえる人間が住んでいたのではないか、といわれているほどである。
徳川時代には数千万人の人間が住んでいたと思われる。したがって、はっきりものをいうとカドが立ってしかたがない。そこでものをはっきりといわず、おたがいにもたれかかるような生き方をしてきたのである。ものごとがはっきりと示される数字はあえて口にせず、ハラとハラでいく、といったことが、共存共栄のための生活の知恵として必要だったのではないだろうか。
ところが、それも井伊直弼が開国して桜田門外で暗殺されるまでのことである。開国してからは、日本人が相手ではなく、世界を相手にしなければならなくなった。こうなっては、もはや、数字と無縁でございます、ではすまされなくなってしまった。数字を駆使しなければ世界の人と伍していけなくなったのである。
ところが、そうなってからも、依然として、数字を使わないで、ナニワブシのかたまりみたいなことをいっている人がいる。しかし、これでは人の上に立てないし、自分も生きてはいかれない。
ハラとハラでいこう、とか、義理や人情でいこうとかしないで、ここは足して二で割っていこう、というふうに、はっきりと数字でものをいうべきである。これからの時代を生きぬいていくには、われわれ日本人は数字に還元してものをいうような習慣を身につけていくことが肝心である。
日本人にわかる数字といえば、財布にいくらはいっているかとか、銭勘定といったお金のことしかないように思われるが、数字は、なにもお金にかぎらない。
私が社長をしている日本マクドナルドの本社には、各部屋の壁にその部屋の面積を表示するプレートがかかっている。
たとえば、特別会議室。この部屋の壁には、「29・27平方メートル、8・86坪。縦8・61メートル、横3・4メートル」と表示したプレートがかかっている。これを見れば、部屋の広さが一目瞭然というしかけになっている。蛇足ながら、私の使っている社長室の面積は、15・63坪である。
天井までの高さや、床の標高が表示してある部屋もある。毎日、このプレートをながめ、数字を身近にして生活していれば、面積の感覚、距離感などがおのずと身につく。そうすれば、仕事で何平方メートルの店舗、といわれたときに、実際に足を運ばなくてもすぐにその広さが感覚としてわかる。
この部屋の面積表示のプレートで、私は日ごろから、社員に数字感覚を身につけるトレーニングをさせているのである。
日本でも、昨今は、今日は氷点下2度だから寒いとか、今日は三一度だからとても暑い、というように、数字をあげて寒い、暑い、をいうようになった。こういった数字が身近になることを、もっと日常的にとりこむことが必要なのである。
そうすれば、銀行の金利がいくらで、割債はいくらだから、どっちが有利である、ということもわかってくる。サラ金の金利のトリックにだまされて泣くということもなくなる。
第一、サラリーマンの働きは、月給という数字ですべてあらわされている。月々もらう何十何万何千何百何十何円が、そのサラリーマンの“価値”である。つまり、人間の一生は、すべて数字におきかえることが可能なのだ。
だから、率先して、日常生活に数字をもち込んだものが、勝ちなのである。