なぜ、あの人は自死を選んだのか。「遺された私」が見つけた、一つの「答え」【あさのますみ】《特別寄稿》
『逝ってしまった君へ』著者・大切な友人の自死を経た「遺された人」のこれから
友人が逝ってしまったのは、一月だった。
その年私は、混沌の真っただ中で桜の季節を迎えた。
なぜ青山霊園だったのだろう。確か仕事の帰りだったと記憶している。桜はピークを過ぎて花びらを散らし始めており、空は晴れ渡って、風が吹くたび息を呑むような桜吹雪が舞った。私はひとりで、青山霊園の遊歩道を歩いた。
仕事先で何事もなかったかのように振舞うと、その反動で気持ちが沈んでしまう時期だった。真顔のまま、茫然と桜を見上げた。そんな私の上にも桜吹雪は降ってきて、肩や腕に当たってどこかへ消えていく。それを見ながら、ああ世界はこんなにも美しいのに、と思った。
友人が自らの意志で別れを告げたこの世界は、美しいものや、素敵なものであふれているのに。そのことをかつて私に教えてくれたのは、他でもない友人自身だったのに。桜の季節まで待てば、そしてこの美しい桜を見れば、友人の選択は変わったんだろうか。
答えは誰にもわからない。逝ってしまったとき、友人の二十年来の親友の結婚式が、翌月に控えていた。友人は出席を約束していた。彼らの仲の良さは、私もよく知っていた。それなのに約束を破ってこの世を去ることをどうか許してほしいと、友人は遺書の中で、親友に何度も詫びていたのだ。
――わからない。答えは永遠にわからない。
そう思ったら涙が出た。人々は桜に目を奪われて、私が泣いていることに気づかない。私はうつむき加減で、遊歩道をあてもなく歩いた。桜吹雪を浴びながら、心の中で、ひとつの言葉をくり返し自分に言い聞かせた。
「わからないことの答えを、無理に見つけてはいけない」
それは、友人を失った混乱の中で、ほとんど唯一、私が明確に察したことだった。