「ポピュリズム」が絶対悪だと言い切ることはできない
民衆が熱狂してしまう理由と、社会を変える可能性
世界中に広がる「ポピュリズム」の流れ
「ポピュリズム」が世界を席巻していると、巷間でよく語られている。アメリカでは共和党の大統領候補としてドナルド・トランプが指名された。イギリスでは国民投票によってEU離脱が決められた。フィリピンでは過激発言を繰り返して「フィリピンのトランプ」とも呼ばれるロドリゴ・ドゥテルテが大統領に就任した。
他にも、フランスでは移民制限と反EUを掲げる国民戦線が支持を伸ばし、党首のマリーヌ・ルペンが次期大統領の有力候補に挙げられていたり、オーストリアでは民族主義を掲げる自由党のノルベルト・ホーファーが大統領選挙で49.7%対50.3%という僅差の接戦を演じたりと、ヨーロッパでは民族主義的な右派政党の勢力が強まっている。
一方スペインでは、2011年に若者を中心として結党され、反緊縮や富裕層への増税、ベーシックインカムの導入などの政策を掲げる左派政党「ポデモス」が、総選挙によって350議席中71議席を獲得して第三党の地位を占めるようになった。
ギリシャでも反緊縮を掲げる「急進左派連合(SYRIZA)」が総選挙に勝利して、党首のアレクシス・チプラスが首相に就任した。アメリカでは、民主党の予備選挙で敗れはしたものの、ウォール街との対決姿勢を鮮明にして富裕層への課税強化や最低賃金の引き上げ等を訴える民主的社会主義者のバーニー・サンダースも多くの支持を集めた。
こういった人物や勢力の主張や発言は、過激で急進的なものである。だが、それは多くの民衆が抱えている本音でもあるのだろう。建前ばかりを言う現役の政治家に対して自分たちが感じている本音をズバリと言ってくれる姿に、現状に不満を抱えている多くの民衆は熱狂的に支持するようになるだろう。こうして、「ポピュリズム」が生まれる。
熱狂的な支持が集まる構造
「ポピュリズム」とは、一般的に大衆迎合的な政治のあり方のこととされている。民主主義の体制であっても、実際に統治に携われるのは少数の人間に限られてしまう。その少数の側になれるのは、エリートや既得権益を持っている家柄や集団の者である。
そういった少数の者は「エスタブリッシュメント」と呼ばれるが、体制に直接関わることができない社会の大多数の者たちは、「エスタブリッシュメント」だけが甘い汁をすすり、利益を守るために民衆を虐げているという感覚を常に持っている。そんな中で、腐敗して堕落した「エスタブリッシュメント」を攻撃する人物や団体が、時として熱狂的な支持を集めることとなるだろう。
難民や移民が押し寄せてくるヨーロッパ諸国の政府は、建前としては人道主義や寛容を掲げて難民や移民を受け入れてきた。しかし、その対策のための膨大な費用は自国民の税金で賄われる。異文化で言葉も違う群衆が大量に押し寄せてくることへの感情的な反発も生じるだろう。政府を運営する「エスタブリッシュメント」の建前に対して、民衆は感情的な本音で反発することとなり、右派的で民族主義的な政党や指導者を支持するようになる。
また、緊縮財政を強いられているスペインやギリシャ、格差が広がるアメリカでは、失業や貧困を強いられている立場から、無策な政府や、甘い汁をすすり続けて富を独占する富裕層への反発が高まることで、左派的な政党や指導者の支持が集まるようになる。
歴史を見れば、高い理想を掲げたワイマール共和国体制の中で苦境を虐げられた民衆が共産党やナチスを支持し、最終的にはナチズムとヒトラーを生み出したという事例もある。こういったことを考えれば、「ポピュリズム」が危険なものであることは確かだろう。