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江戸のトップレディの最後

季節と時節でつづる戦国おりおり 第259回

 

 女性初の都知事として小池百合子氏が本格的に職務を進めていますが、豊洲新市場の盛土問題に関する石原慎太郎元都知事の対応を見る限り、都知事戦応援における石原氏の言動は小池氏だけは都知事になってもらってはまずいという衝動に突き動かされていたんでしょうね。

 さて、現代東京のトップが小池氏である事は疑いを入れませんが、江戸時代初期の江戸のトップも女性だった事もある意味間違いないのではないでしょうか。

 今から373年前の寛永20年9月14日(現在の暦で1643年10月26日)、徳川三代将軍・家光の乳母・春日局、死去。享年数え65歳。明智光秀の重臣で本能寺の変後、羽柴秀吉との山崎合戦に敗れ処刑された斎藤利三の娘だった。稲葉一鉄の孫または姪だった縁で稲葉正成と結婚するが、のち家光の乳母に立候補し江戸城に入る。

 長男・家光をさしおいて次男・忠長を偏愛する秀忠・江の両親に危機感を抱き、大御所家康に直訴したとか、家光が疱瘡をわずらった折り、自分は今後一切薬を飲まないからと家光の全快を神仏に祈ったとか、家光にすべてを捧げて尽くした春日局。家光もその愛情に応えて彼女に全幅の信頼を寄せ、彼女は江戸城大奥に君臨したばかりか老中をもしのぐ圧倒的な権力を手にする。

 だが、死病にとりつかれた時、彼女は昔誓った通り投薬を一切拒否して淡々と最期を迎えたのだった。

『寛永日記』には、
「十四日申刻死去之儀、今日御聴に達す。これにより銀二千枚、八木千俵、弔料として下される。春日局死去に付き、尾紀両亜相、水戸黄門、尾紀両宰相、水戸中将、その外在江戸の諸大名登営」
 とある。午後4時前後に亡くなった春日局に対し、家光は銀2000枚(3000枚とする史料もある)と米1000俵の香典を出したのだ。現在の金額に直すと、2億5000万円弱といったところか。

 まさに破格!彼はその後、7日間の精進をおこなって喪に服した。彼は母・江与の死の際、京にいたが、訃報に接してから同じ7日間江戸下向を延期している。まさに彼にとって春日局は母同然だった。

 ちなみに、戦国時代生き残りの女性だった彼女は、家光が出された料理が気に食わないと機嫌を損ねると、膳部方の役人を、
「食欲が無いのなら出る様に工夫するのが仕事ではないか!」
 と一喝。普通のご飯、焼き飯、湯漬け飯、粟飯、麦飯、赤飯、引割飯(米粒を細かく割ったご飯)を毎日炊かせる様になったという(『明良洪範』)。天下泰平、飽食の時代に変わり行くご時世をみずから体現したわけだ。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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