「アウベスにもマルセロにもなれない……」長友佑都が乗り越えた三つの涙
W杯への逆襲 独占・長友佑都インタビュー〈前編〉
練習場で走りながら涙が止まらなかった
知りうる限り、長友佑都は三回ほど「長友佑都らしい 」 涙を流したことがある。一度はFC東京からイタリア・セリアAチェゼーナに移籍が決まった2010年、退団セレモニーでのこと。サポーターからの声援にマイクの前に立った瞬間からもうほとんど泣いていた。おもむろにサングラスを取り出し「ボンジョルノ」と一言、それは涙を隠すためではなく笑いを取りにいったのだと思うけれど、隠せない口元はずっと震えていた。
もう一つは多くのサッカーファン が知るところだろう。2014年、ブラジルワールドカップで一勝もできず敗退が決まった翌日の会見。記者からの質問に言葉が詰まった長友は「ちょっと外れていいですか」を最後の言葉にトレーナーの胸で泣き続けた。
そして三つ目は2015年のことだ。長友が所属するインテルは前年シーズン途中から名将・マンチーニを招聘し、チーム再建を託していた。そのなかで、長友が受けた扱いは「戦力外」。副主将に抜擢され、チームの中心として活躍してきた男が大きな壁にぶつかった。
「まさか練習の紅白戦にも出られないとは思っていなかったんで……。メディア向けに監督が僕を売却するようなことを言ったって聞いたり、実際に多くのサイドバックの選手が獲得されて、プレシーズンマッチでははサイドバックじゃなくてトップ下で試合に出ることもありました。トップ下で使いたいわけじゃないですよ(笑)。人数合わせです」
練習ですらピッチに入れない長友はコートの隅で練習を眺め、コーチや一回り近く歳の離れたユース選手たちとボールを蹴った。
「あの数ヶ月はサッカー選手のキャリアのなかでもっとも大きな壁だったと思います。ひたすら走りましたね。フィジカルコーチにもうやめろって言われても走っていた。 そうしたら自然と涙が出てきてね。泣きたくないのに、走りながら涙が出てくるのが抑えられなかった」
らしいのは、彼の涙がいつも自身を大きく成長させる糧となることだ。
「腰痛でもうプレーができないんじゃないかっていうところからプロとしてFC東京でプレーさせてもらって、サポーター含めて本当によくしてもらいました。退団セレモニーは声援を聞いていたら自然と涙が止まらなくなりました。ブラジルワールドカップのときは、もう大好きなこのチームでサッカーができないんだという寂しさと同時に空虚感ですね。ものすごく懸けていたから、あの大会に。体幹トレーニングの本を出したとき、『自分を変えるためには目標設定こそが大事』って何度も本に書いたんですけど、僕自身の目標も書こうと思って、どちらを収録するか悩んだ二つの目標がありました。それが『ワールドカップ優勝』か『バロンドールを獲る』 。 自信満々でしたよね(笑)。でも、そのすべてをやり尽くすくらいの気持ちで取り組んでいたから、涙が止まらなかった」
結果として、FC東京での涙は、チェゼーナ移籍からわずか半年でインテルというビッグクラブにステップアップをさせ、2014年の涙はインテルで副主将に抜擢されるほどの信頼を得るに至った。
「いいことだけじゃなくて悪いことの方が多かったですけど、いつでも周りにはサポートしてくれる人がいた。だから頑張れた。感謝の気持ちをつねに持つことが原動力であり、とても大事なことだと改めて思いますね」
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