「アウベスにもマルセロにもなれない……」長友佑都が乗り越えた三つの涙
W杯への逆襲 独占・長友佑都インタビュー〈前編〉
「屈辱だった」涙とは
長友自身がそう語るように、最初の二つの涙が「感謝」をもとにしたものであったとすると、三つ目ーー2015年の涙は「屈辱だった」。
「出られない理由を自問自答しましたよね。使ってくれない監督であるマンチーニは戦力外である理由を僕に直接言うことはなかったんです。 なんでだろう……と考え続けて、気付いたのが攻撃を求めすぎていたということでした。イタリアに来て世界のトップに行くためには攻撃面で成長しなければいけないとつねに考えてきました。それこそ、移籍当初インテルのサイドバックにはマイコンがいました」
マイコンは当時ブラジル代表で、世界ナンバーワンといわれた攻撃的サイドバックだ。圧倒的なフィジカル、スピード、そして得点力……。自身に足りないのは攻撃力だ、マイコンに追いつかねば……その思いでセリアAに適応していった。
「ただ一方でサイドバックとして、本当に必要なことは攻撃だけじゃないんです。守備がしっかりできないと、チームとして本当に必要な選手にはなれない。それをこの試合に出られない時期と、そしてマンチー二から学びました。Jリーグにも、日本代表にも、インテルにも、絶対に1対1で負けないと意識していたから入ることができた。外れていた時期、原点にかえったとき、自分のストロングポイントはそこだったんだなと実感した。僕がいくら攻撃を磨いても、マイコンにはなれないんです。ダニ・アウベスにも、マルセロにもなれない。でも、彼らに勝っている部分もある。それが守備の1対1や走力。そこで僕は勝負しようと思いました」
もともと「1対1」の勝負強さ、守備での粘り強さを買われてステップアップしてきた長友が「原点回帰」を決めた。屈辱の涙ですら「糧にする」ことで自分を変えたのだ。
そこから長友佑都は再び輝きを放ち始める。2015ー16シーズン、戦力外扱いからシーズン終盤にはレギュラーの座を取り返した。指揮官・マンチーニは長友をこう評した。「練習からまじめに取り組むプロフェッショナルだ」
どんな涙であろうと、長友佑都が流すそれは「長友佑都」自身を大きくさせてきた。新たな試み、刺激をつねに探し求めた。取り組み続けてきた「体幹トレーニング」はもはや代名詞となり著書『長友佑都 体幹トレーニング20』シリーズは累計90万部が目前となったし、メンタル面においても読書に費やす時間を増やし、また「経営」や「自己啓発」に関する一見、サッカーに関係のないような知識を貪欲に吸収した。
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